東京地方裁判所 昭和39年(ワ)5174号 判決 1966年12月20日
原告 梅田恭子
右法定代理人親権者父 梅田茂雄
同母 梅田やす子
右訴訟代理人弁護士 森真一郎
同 畔柳桑太郎
亡布施清次郎訴訟承継人
被告 布施きん
<ほか二名>
右被告三名訴訟代理人弁護士 平井良雄
同承継人被告 杉田君代
主文
原告に対し、被告布施きんは金五万〇、三八六円、その余の被告らは各金三万三、五九〇円、および右各金員に対する昭和三九年六月一六日から完済まで各年五分の割合による金員を支払え。
原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告らの負担とする。
この判決は第一項にかぎり仮りに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「原告に対し、被告布施きんは金一〇万円、その余の被告らは各金六万六、六六六円、および右各金員に対する昭和三九年六月一六日から完済まで各年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、承継前被告布施清次郎は原告の隣家に住み、以前から雑種牡犬クマ号を飼育占有していた。
二、昭和三八年六月二六日午後六時半頃、原告(昭和三五年九月一九日生)は自宅前歩道で兄悦男と遊んでいたところ、突然右クマ号(当時七才)に襲われ、顔面に六個所全治約一箇月の咬傷をうけた。
三、右事故により原告のこおむった損害はつぎのとおりである。
(一) 将来の整形手術費用金一二万円
原告は事故後直ちに病院に運ばれ、各創面に一針ないし二針の縫合をうけ、同日から同年七月三〇日まで通院加療したが、現在なお顔面に相当顕著な傷痕が残っているため、今後時期をみて整形手術を施す必要があり、その際の手術料および入院料として金一二万円を要する。
(二) 慰藉料金一八万円
原告は、本件事故当時わずか二年九箇月の幼児であり、右事故により甚大な肉体的苦痛と精神的衝撃をうけたうえ、顔面の咬傷による容貌の毀損は将来において女性として大きな精神的苦痛となることが明らかであり、その他、清次郎が昭和三八年七月三〇日までの治療費三、九五〇円を支払い見舞金五、〇〇〇円を届けたのみで、なんらの誠意も示さないことなども考慮すると、慰藉料の額は金一八万円を相当とする。
四、したがって、清次郎はクマ号の占有者として、クマ号が原告に加えた前項の損害合計金三〇万円を賠償すべき義務を有したところ、同人は昭和四〇年一〇月二七日死亡し、その妻である被告きんおよび子であるその余の被告らが法定相続分に応じて右損害賠償義務を相続した。
五、よって、原告は、被告きんに対し前記損害の三分の一である金一〇万円、その余の被告らに対し各九分の二である金六万六、六六六円宛、およびこれら金員に対する本件訴状が清次郎に送達された翌日である昭和三九年六月一六日から各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
と述べ、被告らの抗弁事実を否認し、
証拠≪省略≫
承継前被告清次郎および被告きん、同清二、同八重訴訟代理人は、「原告請求を棄却する。」との判決を求め、答弁および抗弁として、
一、請求原因事実のうち、清次郎が雑種牡犬クマ号を飼育占有していたこと、原告主張の頃右クマ号(七才)が当時二年九箇月の原告の顔面に咬傷を負わせたこと(ただし、その場所は清次郎方店舗内である)、清次郎が原告に治療費金三、九五〇円、見舞金五、〇〇〇円を支払ったことは認めるが、その余は争う(ただし、被告きん、同清二、同八重は、清次郎が昭和四〇年一〇月二七日死亡し、妻である被告きん、子であるその余の被告らが相続したことを認める。)
二、清次郎はクマ号の種類性質にしたがい相当の注意をもってその保管をしていたから、責任がない。すなわち、(1)クマ号は仔犬の頃から飼われており、温順な性質で、これまで幼児にいたずらされたため軽傷を負わせたことが二度あるが、風呂桶等の製造販売をいとなみ客の出入の頻繁な清次郎方店舗に置いても客に咬みつくというようなことはまったくなかった。(2)清次郎はクマ号をいつも五尺ほどの太い綱で店舗内か裏口かに厳重に繋留し、逸走することのないよう注意を払い、本件のときも、同様の綱で店内ほぼ中央にあるパイプの鉄柱につないでいた。ところが、原告が店内にはいってきて挑発したため、つながれたまま咬みつき傷を負わせる結果になったのである。
三、仮りに清次郎に損害賠償義務があるとしても、本件事故は、原告の監督義務者である両親が原告を自由に清次郎方店舗に出入させ、十分な監護をつくさなかった過失に起因するものであるから、賠償額を定めるにつき右の過失を斟酌すべきである。
と述べ、
証拠≪省略≫
理由
一、昭和三八年六月二六日午後六時半頃承継前被告清次郎の飼育占有する雑種牡犬クマ号(当時七才)が原告を襲い、顔面に咬傷を与えたことは争いがない(事故の場所については争いがあるが、後に認定する)。
二、被告らは、清次郎がクマ号を相当の注意をもって保管していたから、責任がないと抗弁する。
しかし、≪証拠省略≫を綜合すれば、事故の直前、原告は兄悦男(当時七年)とともに自宅前の都電通り歩道に遊びに出て、隣家である清次郎方店舗との境いあたりまで歩いていったところ、右店舗内から、つながれないままのクマ号が出てきて、いきなり原告に襲いかかったことを認めるに足り、右認定に反し、原告が店舗内にはいってきて、つながれていたクマ号に咬まれたものである旨供述する≪証拠省略≫は、前掲証拠と対比してたやすく信用することができない。被告らは、クマ号は温順な性質で、店舗内に置いても人に危害を加えるおそれはまったくなかったというけれども、≪証拠省略≫によると、クマ号は、胴体の長さが六〇センチ位で体格は大の部に属すること、これまで近所の子供に挑発されたことから怪我を負わせたことが三回位あることが認められ、また、犬の通性として、ふだんは温順であっても、なんらかの外界の刺戟により突然昂奮し攻撃を加える危険が常にあることは経験上明らかなところであるから、かかるクマ号を人の通行する歩道に面した店舗内に保管する場合には、不慮の事故が起らぬよう格段に厳重な注意をすべきが当然であるといわねばならない。しかるに、前認定の事実からすると、本件事故の際、クマ号は店舗内で繋留されていなかったか、あるいは繋留されてはいたが犬の力により解けた(切れた)かのいずれかであり、しかも店舗の出入口は開いていたことが明らかであるから、このような保管方法が前記相当の注意をつくしたものであるとはとうてい認めることができない。
そうすると、清次郎は、クマ号の占有者として、本件事故により原告のこおむった損害を賠償すべき義務を免れない。
三、進んで、原告の損害について判断する。
(一) 将来の整形手術費用について。
鑑定人伊藤盈爾の鑑定結果と原告法定代理人梅田茂雄の尋問結果によれば、本件事故により原告の顔面には昭和四一年四月現在でなおかなり顕著な瘢痕が六個(左頬に米粒二倍位のもの二個、右眉の上側方に長さ二〇ミリ、巾五ミリのもの一個、右眉の上部および眉内に長さ八ミリ、巾二ないし三ミリのもの各一個、右鼻唇溝近くに長さ一三ミリ、巾二ミリのもの一個)あり、顔面運動時に陥没や変形を生じていること、これらは整形手術によりあまり目立たぬ程度に形成することが可能(ただし、瘢痕を完全に消失させることは困難)であり、原告の両親としては右手術をうけさせる予定であるが、原告の年令等の関係からしばらく(少くとも今後二、三年)は延期するのが適当であると認められ、これに原告が女性であることなどを考え合わせると、本件の場合、右の手術が必要でないとはいえず、その時期はおそくとも原告が小学校を卒業する昭和四八年三月までにはおこなわれるとみるのが相当である。そして、このような将来の手術に要する費用であっても、これを支出することの蓋然性を肯定しうるかぎり、それに相当する損害が現に発生したものとして、現在の賠償請求を認めてさしつかえなく(したがって、遅延損害金も事故のときから発生する。)、ただその支払の時期がかなり将来に予定されるときは、利得をさけるため、それまでの中間利息を控除すればたりるものと解すべきである。そこで、本件整形手術に要する費用を調べてみるのに、いま直ちにその正確な額を求めることは困難であるが、経済事情からみて、現在の所要費用を下廻らないであろうことは容易に予測しうるところ、前記鑑定の結果に徴すると、右手術には七日ないし一〇日間の入院を必要とし、現在手術するとすれば手術料等約六万円、入院料一日最低二、三〇〇円であることが認められる(そのほか、剥削術を施せば約二万円を要するが、これは必らずしも常におこなわれるとはかぎらないので、とくに考慮しない)。そうすると、右手術料と七日間の入院料の合計金七万六、一〇〇円について、事故の時から昭和四八年三月までの九年九箇月間の年五分の中間利息を控除した金五万一、一五九円(76,100÷=51,159円円未満切捨)が事故当時におけるその現在価額すなわち損害額であるということができる。
(二) 慰藉料
≪証拠省略≫を綜合すると、本件事故の際クマ号は原告を倒しそのうえに乗りかかって顔面に咬みついたもので、幼い原告の恐怖、衝撃は非常に大きかったであろうこと、その結果原告は顔面に数個所の咬傷をうけ、一二日間赤塚医院に通院加療したが、前記のとおりいまだにかなりの瘢痕、変形を残し、今後さらに入院のうえ整形手術をうける必要があり、しかも右瘢痕等を完全に消失させることは困難であるというのであるから、女性の身である原告としては将来にかなりの精神的苦痛を負わされることになる。これらの点からすると、原告が本件事故によりこおむった肉体的、精神的苦痛は相当に深刻であったといわなければならないが、他方、清次郎が本件事故に関して治療費三、九五〇円および見舞金五、〇〇〇円を支払ったこと(この点は争いがない。)などある程度陳謝の意を表している事情をも斟酌すると、慰藉料の額は金一〇万円とするのが相当である。
(三) なお、被告らは、本件事故の発生につき原告の両親にも監護を怠った過失があると主張するが、さきの認定を前提とするかぎり、そのような事実を認めることはできない。
四、以上のしだいで、清次郎は、原告のこおむった損害金計金一五万一、一五九円を賠償すべき義務を負担したものというべきところ、同人が昭和四〇年一〇月二七日に死亡し、妻である被告きんおよび子であるその余の被告らが法定相続分により相続したことは、被告きん、同清二、同八重の認めるところであり、被告君代との関係においては弁論の全趣旨によりこれを認めることができるから、結局、被告きんは前記損害の三分の一にあたる金五万〇、三八六円、その余の被告らはそれぞれ九分の二にあたる金三万三、五九〇円(いずれも円未満切捨)宛を賠償する義務がある。
五、よって、原告の本訴請求は、被告らに対し右各金員と、これに対する本件事故後である昭和三九年六月一六日から完済までそれぞれ民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当として認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤繁)